大磯のトラは
一途に愛を貫いた・・・
虎女%`説の地を巡る 食べる
▼日本三大仇討ち事件
『曽我物語』に登場する実在の女性
時は 1193年5月28日、源頼朝主催による富士の裾野での巻狩の最中に敵討ち事件発生。曽我十郎祐成、五郎時致兄弟が父の敵工藤祐経を討つも、自らも富士の裾野の露と消えぬ。ご存知『曽我物語』。
大磯には曽我十郎より事前に敵討ちを打ち明けられていた唯一の女性、十郎への愛を生涯貫いた虎女の伝説に関わる地が多くあります。
▼虎女の出生・生い立ち
1175年(未年)、子に恵まれない長者夫婦(平塚の山下屋敷の長者とも言われている)が虎池弁財天にお願いしたところ、枕もとに石がおかれ、女児を授かりました。その女の子こそ「虎」。
虎はその容貌の美しさゆえに大磯宿の遊女の長、菊鶴にもらいうけられ、街道一の遊君としてその名を馳せました。
敵に関する情報収集のために大磯に通っていた曽我十郎との運命的な出会いは、虎十七歳の時。
▼生涯ただ一人、曽我十郎を愛し抜いた虎女
十郎が虎のもとに通い二人は愛を育みますが、出会いからわずか三年後、十郎は本望を遂げます。が、その場で新田忠常に切り殺され命を落としてしまいます。仇討事件後は、虎も事件への関与を疑われ源頼朝に召し出されて尋問を受けました。
虎は涙に明け暮れる日々を過ごしますが、箱根山において出家し、富士の裾野や熊野などの社寺を巡礼し、曽我兄弟一周忌の後には信濃の善光寺に参拝し彼らの骨を納めました。
虎女が十郎と過したのはわずか 3年という短い時間でしたが、64歳で亡くなるまで生涯を十郎の鎮魂に捧げ、十郎への愛を貫き通しました。『太山寺本』には「昔も今もかかる優しき(けなげな)女あらじ」と記され感銘を与え、後世の人々の心に刻まれました。
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▼虎御石
虎女誕生の際に枕もとにおかれていた石こそ、「虎御石」。延台寺に奉安されています。
周囲86p、重さ130s。五月末の「虎御石まつり」の際にご開帳され、安産、大願成就、厄除けにご利益があるとされています。
延台寺には虎女供養塔や虎御前祈願の竜神、虎池弁財天の碑などもあります。
▼善福寺
虎女と曽我十郎の子供、祐若 (すけわか)が開基したお寺です。
十郎仇討ちの時、虎女は懐妊中でした。親鸞聖人の弟子となり、「了源」という法名を賜り、母・虎女の生地の近くである大磯に草庵を結びました。
「木造伝了源坐像」として国の重要文化財に指定されている彫刻が安置されています。
▼鴫立庵
日本三大俳諧道場の一つである鴫立庵には、有髪僧体の虎女十九歳の姿の木造が安置されています。
初代鴫立庵庵主大淀三千風在庵の頃に木像を安置している法虎堂とともに江戸新吉原から寄進されたと伝えられています。
▼曽我十郎の硯水
高麗山ハイキングから登る湘南平には十郎が虎に手紙を書くために使用した硯水があります。
▼化粧井戸
旧東海道化粧坂には虎女が化粧をする際に使用したとされる井戸があります。
▼富士見平地区
十郎が馬を飛ばして虎のもとに通った富士見平には、馬を止めたとされる駒止めの場があったと言われています。
現在も十郎も見たであろう絶景の富士を、聞いたであろうこゆるぎの浜の潮騒を堪能できます。
▼虎が雨
十郎が本望を遂げた際に流した虎の涙が雨になった「虎が雨」。
曽我兄弟の命日陰暦五月二十八日に降る雨を虎が雨といい、歌川広重が「東海道五十三次」で大磯の情景を描き、小林一茶は次の句を詠んでいます。
とらが雨など軽んじてぬれにけり
歌川広重作 虎が雨
▼虎子饅頭
虎女に因んだ饅頭、それが虎子饅頭です。 「新杵」 「三引屋」 「讃岐屋菓子舗」にて販売しています。
それぞそれのお店のお味や虎の焼印を比べてみるのもおすすめです。
トラ年の今年、虎女に因んだ虎子饅頭を手に、虎女の伝説を訪ねてみてください。
問い合わせ◆大磯町観光推進室
TEL:0463 -61-4100 |