
【変遷】
| 高来寺 |
717 年僧行基菩薩がこの地を訪れ、高来山に登って千手観音像を本地仏として創建したとある。 |
| 高麗寺 |
鎌倉時代になり朝鮮半島で高麗王朝が繁栄し、朝鮮を高麗と呼んでいた。
この頃より高麗寺と呼ばれるようになる。 |
| 高麗神社 |
明治元年の神仏分離によって、高麗寺は特定の檀家を持っていなかったのと東照権現を祀ってあったため廃寺となった。寺の一切の仏像関係は、現在の慶覚院に移された。 |
| 高来神社 |
明治 30 年高来神社へと改称。 |
【神額】
明治30年8月15日
文部大臣で大磯に二松庵と呼ばれた別荘を所有していた樺山資紀氏の麗筆である。
【石碑】
神社入口大鳥居の右側にある 高来神社の石碑は、徳川頼倫侯の麗筆である。
〜徳川頼倫侯〜
紀州徳川家城主、徳川茂承が高麗に土地を購入し別荘を建てた。高麗山のふもとの人は紀州徳川家の別荘を紀州さんと呼んでいました。
頼倫侯は紀州徳川家の 14 代目。
【力石】
江戸末期には大磯海岸で若者たちが集まって力競べが行なわれていました。大きい石を両腕で持ち上げる競技があり、高麗の若者が優勝した。
丸い型の大石を 女石 といい、長い方を男石と名づけた。
【シイニッケイ】 樹幹の心材が枯死腐朽し空洞化しているスタジイの古樹の凹部に,ヤブニッケイが密着生息しているものです。樹齢はスタジイが推定 400 年、ヤブニッケイは 100 〜 150 年です。
このような例は各種各様のものがありますが、外観が完全に一本の樹に見え、しかも違和感なく一本化した樹は大変めずらしいものです。町の文化財に指定されています。
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