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    大磯はじめて物語
 
第2回 落花生
 
 

煎って食べたり茹でて食べたり、煮豆にしたり、味噌で和えたり...
大磯を含む中郡一帯からとれる落花生は、「あとひき豆」といわれるほどおいしくて、食べ過ぎると鼻血がでてしまうほど精が強いと言われ、秦野市を中心に“相州落花生”とも言われます。
今ではいろいろな食べ方で親しまれ、気軽に口にすることのできる落花生ですが、

なんと栽培の発祥は “大磯” からなのです。

大磯の 『落花生はじめて物語』のはじまりはじまり〜

1.落花生栽培の元祖 渡辺慶次郎
 

日本で初めて大磯の地で落花生の栽培を始めたのは、渡辺慶次郎です。
慶次郎は天保(1841)12年12月12日と12ばかり並んだ日に中郡国府村に誕生し、身長175cm以上、体重70kgの偉丈夫な体格で、キビや さつまいも、大豆などの耕作をしていました。

夜がどんなに遅くても翌朝朝食前には草刈りをし、囲碁・俳句・書もたしなむ多趣味な人で、落花生の作り方も惜しむことなく近所の人に教えたそうです。

慶次郎が落花生に出会うのは 明治4(1871)年のことです。
当時落花生は、異人豆、南京(ナンキン)豆、唐人豆などと 呼ばれていました。

渡辺慶次郎
落花生栽培の功績により
“神奈川の100人”に選定

慶次郎の落花生栽培の様子を紹介します

2.落花生”栽培”顛末記
   
  1871(明治4)年2月  初めて”異人豆”(落花生)を食べておいしさにびっくり!!
  横浜の知り合いを訪ねた際、マユ玉のような奇妙な形をしたお茶うけが出されました。
  どうやって食べるのだろう? ...食べてみよう。
うまい!! 香りも味もとても良い!!
よし、自分で作ってみよう!! 1粒食べ残して持ち帰って蒔いてみよう!!
どこかで落花生を入手することはできないだろうか??
うまい!!と思っただけでなく、作ってみようと思う気持ち、またそれをする実践する力が先駆者たる所以ですね。
 
  1871(明治4)年4月  わずか1粒の落花生を庭に蒔く
  2月に落花生を初めて食べてからいろいろな人に落花生が入手できないか尋ねましたが、手に入れることができず、横浜から持ち帰ったわずか1粒の落花生を蒔きました。
  種を蒔いたらすぐに芽は出たものの、これから先どうやって栽培していったらいいのだろう?
   
 

慶次郎の暗中模索は続きます。
枝が横に這ってしまったら、肥料をやりすぎてしまったか と悩み、添え木をあてたりしました。

   
 

1871年6月 ついに黄色い花が咲きました。が...
実がなるどころか、花はみるみる地面に突っ込むように枯れてしまい、「地面についてはいけない」とその下の土を一生懸命かき除きました。 が…

落花生の花
 

あ〜あ、とうとうなんの実もつけずに枯れてしまった。
日本の風土に落花生は合わないのだろうか...
枯れてしまった茎や枝でも片付けることにしよう...

なんと地面から3さやの豆が出てきました

初めての落花生 誕生の瞬間
  やったー、うれしい!!
異人豆(落花生)は土の中にできるんだ。まめは根にくっついてできるんだ。
自分は今まで間違った栽培法をしていたんだ。
 
  1872(明治5)年3月〜4月 落花生栽培2年目スタート
 

昨年収穫した3さやと横浜在住の清国人(中国人)から仕入れた5合(0.9g)の種子を近所の篤農家3人、柏木太左衛門、鈴木貞次郎、渡邊民蔵とともに栽培しました。

  これから先、落花生栽培で農業を成り立たせていくにはほかの作物との栽培時期との兼ね合いも考えていかなくてはならない。
よし、今年は去年同様4月上旬と5月下旬にも種をまいてみよう!!
 

野ネズミやキツネなどの天敵が現れて収穫高は予想の1/3の1.5升(2.7リットル)。
野ネズミには通路に木片を立てたり杉の枯葉を入れ込んだりし、キツネには畑の周りに 漁網を張り巡らし、番小屋を設けて銅羅を打ちたたき、空砲を撃つなどして警戒しました。 カラスは案山子や鳴子で追い払いました。

 
  1873(明治6)年  3アールの畑で48kgの収穫
1875(明治8)年  5アールの畑で90kgの収穫
1877(明治10)年 41アールの畑で1420kgの収穫
 
温暖な気候と粘土に砂が混じった土質が落花生の生育には最適でした。

落花生栽培にはなんとかメドがつきましたが、どのようにお金にかえていったのでしょう?

3.落花生”販路開拓・拡大”顛末記
   
  1873(明治6)年11月  砂煎りにして大磯や平塚の遊郭に試食で持ち込む
  客は喜んで食べると大好評ながら、ちらかされてかなわないと不評をかいます。
小売の菓子店にも持ち込みましたが、異人の食べるものだから…と相手にされません。
 
  1877(明治10)年 横浜に売りに行き1200kgを150円の高値で売れる
  落花生栽培がお金になるとわかって、”異人豆”を栽培する人が続出し、「落花生大尽」が生まれました。
   
 

1929(昭和4)年には今上天皇のご成婚記念の献上品に加えられました。
大正の全盛時代には一日一万俵も出荷されたことがあったそうで、戦後の1949(昭和25)年頃には1200ヘクタールの栽培面積まで広がりました。

『落花生はじめて物語』  おわり

〜今の落花生栽培〜

落花生農家は数が減り、みかん (相州みかん)栽培や酪農家に転身する人が多く見られました。落花生栽培には広い土地が必要で人手もかかるので、農業経営には適さなくなったのが衰退の原因とみられます。
が、現在でも渡辺慶次郎が栽培をはじめた大磯西部地区では小規模ながら落花生栽培が続いており、収穫時期になると農産物直売所などにて販売されることもあります。

参考資料 『郷土に於ける特産物の由来(国府村) 昭和九年六月』 国府村立実業補修学校編
『かながわの100人』 稲葉 博 編・著
『郷土歴史人物事典 神奈川』神奈川県史研究会 編集
『相模の群像 「かながわの100人」から』東京新聞 1981年1月22日
『中郡一帯のドル箱』読売新聞 1951年7月24日 神奈川版
『一粒のナンキンマメ死して』読売新聞 1967年1月12日 神奈川県民版
 
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