| 2.落花生”栽培”顛末記 |
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1871(明治4)年2月 初めて”異人豆”(落花生)を食べておいしさにびっくり!! |
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横浜の知り合いを訪ねた際、マユ玉のような奇妙な形をしたお茶うけが出されました。 |
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どうやって食べるのだろう? ...食べてみよう。
うまい!! 香りも味もとても良い!!
よし、自分で作ってみよう!! 1粒食べ残して持ち帰って蒔いてみよう!!
どこかで落花生を入手することはできないだろうか??
| うまい!!と思っただけでなく、作ってみようと思う気持ち、またそれをする実践する力が先駆者たる所以ですね。 |
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1871(明治4)年4月 わずか1粒の落花生を庭に蒔く |
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2月に落花生を初めて食べてからいろいろな人に落花生が入手できないか尋ねましたが、手に入れることができず、横浜から持ち帰ったわずか1粒の落花生を蒔きました。 |
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種を蒔いたらすぐに芽は出たものの、これから先どうやって栽培していったらいいのだろう? |
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慶次郎の暗中模索は続きます。
枝が横に這ってしまったら、肥料をやりすぎてしまったか と悩み、添え木をあてたりしました。
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1871年6月 ついに黄色い花が咲きました。が...
実がなるどころか、花はみるみる地面に突っ込むように枯れてしまい、「地面についてはいけない」とその下の土を一生懸命かき除きました。 が…
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あ〜あ、とうとうなんの実もつけずに枯れてしまった。
日本の風土に落花生は合わないのだろうか...
枯れてしまった茎や枝でも片付けることにしよう...
なんと地面から3さやの豆が出てきました |
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やったー、うれしい!!
異人豆(落花生)は土の中にできるんだ。まめは根にくっついてできるんだ。
自分は今まで間違った栽培法をしていたんだ。
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1872(明治5)年3月〜4月 落花生栽培2年目スタート |
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昨年収穫した3さやと横浜在住の清国人(中国人)から仕入れた5合(0.9g)の種子を近所の篤農家3人、柏木太左衛門、鈴木貞次郎、渡邊民蔵とともに栽培しました。
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これから先、落花生栽培で農業を成り立たせていくにはほかの作物との栽培時期との兼ね合いも考えていかなくてはならない。
よし、今年は去年同様4月上旬と5月下旬にも種をまいてみよう!!
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野ネズミやキツネなどの天敵が現れて収穫高は予想の1/3の1.5升(2.7リットル)。
野ネズミには通路に木片を立てたり杉の枯葉を入れ込んだりし、キツネには畑の周りに
漁網を張り巡らし、番小屋を設けて銅羅を打ちたたき、空砲を撃つなどして警戒しました。
カラスは案山子や鳴子で追い払いました。 |
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1873(明治6)年 3アールの畑で48kgの収穫
1875(明治8)年 5アールの畑で90kgの収穫
1877(明治10)年 41アールの畑で1420kgの収穫 |
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温暖な気候と粘土に砂が混じった土質が落花生の生育には最適でした。 |
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落花生農家は数が減り、みかん (相州みかん)栽培や酪農家に転身する人が多く見られました。落花生栽培には広い土地が必要で人手もかかるので、農業経営には適さなくなったのが衰退の原因とみられます。
が、現在でも渡辺慶次郎が栽培をはじめた大磯西部地区では小規模ながら落花生栽培が続いており、収穫時期になると農産物直売所などにて販売されることもあります。