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高麗山
 
 
高麗山と桜 東京方面から湘南へ向かう車窓から最初に見える大磯の緑の風景、湘南平の東側に位置する海抜165mの山、それが高麗山です。
江戸時代末期までは山全体が高麗寺の霊域として保護され樹木の伐採が禁じられており、明治期には宮内省官吏の御料林となり昭和13年に神奈川県に下賜されてからも引き続き保護されてきました。しかし、戦中・戦後の資材確保のため山の北から東斜面の樹木は伐採されてしまいました。
江戸から続く植生は南斜面に残っており、県の天然記念物に指定されています。
 
〜名前の由来〜
安藤広重画の錦絵
「東海道五十三次 大磯 虎ケ雨」に描かれている高麗山


奈良時代にこの山側一帯に高句麗からの渡来人が居住し集落を作ったことから「高麗山」の名前がついたといわれています。

〜高麗山の植生〜

スタジイ・タブノキなどの常緑広葉樹にケヤキ・ムクノキ・イロハモミジなどの落葉広葉樹が混ざっています。
さらに、モクレイシやカゴノキという高麗山ならではの樹木も観察でき、県内屈指の照葉樹林の森になっています。

【高麗山城】

高麗山城

〜典型的な戦国の山城〜

高麗山は標高約160m、相模湾より相模一国をことごとく見渡すことができ、三峰からなる。この三つの頂がそれぞれ高麗山城の曲輪 (くるわ)を形成していて、中央には高来神社を祭って高麗寺山と言い、東峰を天照山(東天照)、西峰を毘沙門山(八俵山)といって、中央が一番高く、城の本丸に相当する。各峰は谷によって区切られて、西方には三本(現在確認できるのは二本)の堀切が設置されて敵の襲来に備えていた。

永享の乱 (1438年)

関東公方足利持氏は管領上杉氏と室町幕府を相手に反旗を翻した。幕府は上杉持房に命じて討伐軍を起して、永享十年 (1438年)九月、高麗山に陣を構えた。高麗山を本陣とした持房は勝利を収めた。この折、おそらく持房の手によって陣城として城砦構えを施したのであろう。

永正7年 (1510年) 権現山合戦

小田原城に関東侵攻の第一歩を印した伊勢新九郎 (北条早雲)が篭城したことで高麗山は一躍有名になった。早雲は扇谷上杉氏の家臣上田政盛を味方につけ、扇谷上杉氏・山内上杉氏に対して権現山城で兵を挙げさせた。両上杉軍は2万の大軍で権現山城を攻め、城は落城、早雲の大敗北に終わった。自らは高麗山を城に造り上げて後詰としたのである。以後、北條氏は、高麗山を小田原城と相模平野を結ぶ狼煙(のろし)台として、「伝えの城」(連絡用の砦)として使うことになった。

1560年 小田原征伐

上杉謙信が小田原征伐の折に高麗山に本陣を置いて、小田原を悩ませた。

神奈川の城 <上巻>』西ケ谷恭弘・文、朝日新聞横浜支局・編 より抜粋

高麗山ハイキング
  おすすめのコースはこちら     ゆっくり大磯散策コース>
  高来神社より高麗山ハイキング
  高来神社までは …JR大磯駅より徒歩20分
…JR大磯駅よりバス3分。平43,47、48系統「化粧坂」下車 徒歩3分。
…車の場合は大磯町生涯学習館の駐車場利用可。
  高田公園や楊谷寺横穴墓群を通るハイキングは、いずれもJR大磯駅より徒歩にてスタートできます。
 
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