【松本順氏はなぜ海水浴に興味を持ったの??】
松本氏は貧しい人たちの衛生法と,日本人の健康を高めて薬の使用を抑える方法を考えていました。異母姉の夫林洞海が翻訳した蘭書に「海水浴」のことがあったのを長崎で勉強した際、師のポンペから「欧州で海水浴ということは言われているが好適な海岸がない為あまり普及していないが,日本は四面海であるから適当な地方もあろう」と言われ、その時から海水浴のことが頭の中に宿ったのだそうだ。また,兄の惣三郎が虚弱体質であったのを、父の泰然が体質改善のため品川や大森の海岸で魚や貝取りの遊びをさせてついに健康体にしたという事実もあり、海水浴への興味は深まっていきました。
【祷龍館建設っていくら??】
ずばり予算8000円。町長の年俸45円の時代。前町長の年収から換算すると建設費なんと16億円!?
うち2000円を館主が、あまりの6000円を会員より募りました。
【祷龍館建設の際に会員に募った会費はいくら??】
一ロ200円。明治22年の大磯町長の年俸が45円だったのでかなりの高額です。会員は無料で祷龍館の部屋を貸りられ、病気の時には薬代だけで医師の診察を受けることができ、日本料理または西洋料理を安く食べることができました。会員の家族も同様の特典がありました。
会員には、渋沢栄一、安田善次郎、榎本武揚、原善三郎ら33人が名を違ねています。
【「名大磯湯場対面」ってどんなお話??】
曽我兄弟が登場する「寿曽我対面」をアレンジしたもの。大磯に寒湯治にやってきた曽我十郎・五郎兄弟ならぬ佐賀十太郎・五郎吉兄弟と新橋芸者お虎たちが、大磯観光から宿泊する祷龍館へ戻ってきたところから始まる演目です。避暑地としての大磯だけでなく、避寒地としての大磯を宣伝しています。この演目は東京で大評判となりました!!
【鉄道唱歌(東海道編)明治33年の歌詞】
♪♪支線をあとに立ちかえり わたる相模の馬入川 海水浴に名を得たる 大磯見えて波すずし ♪
歌詞は66番まであります。その一節に大磯が歌われています。
【虎子饅頭は今でも食べられる??】
もちろん今でも大磯の名物!!虎子饅頭は国道1号線沿いの「新杵」、「讃岐屋」、線路沿いの「三引屋」で販売されています。
各店の虎子饅頭の味比べをしてみるのもおすすめです。
※ 林董、安田善次郎、尾上菊五郎の人物写真は国立国会図書館ウェブサイトより転載
※「大磯の今昔(七)」鈴木昇著「おおいその歴史」大磯町発行郷土資料館資料より情報提供 |